求人の管理方法

自発的には勉学しない自分を、強制的に勉強させようとする意思が読み取れるのではないか。 10年の間に学生の意識が大きく変容したと考えられる。
課題賛成が4割強という調査結果から、学生の学習意欲は決して低くないことが理解できる。 学生たちは学年が上がるにつれて自らが学ぶことの必要性を自覚し、しかも自分に余暇、余力があることを知っているのだろう。
結論として、学生は課題を通じて自分を訓練してゆくことに積極的であると言える。 提言1課題に取り組み、努力をすると、学生は授業に満足することがわかったので、教員はもっと課題を増やすほうがよい。
ただし課題を課したら何らかの形でフィードバックをすることは当然、必要である。 課題、宿題に、思いのほか学生が意欲を持っていることがわかったわけだが、それでも勉学を放棄したかに見える学生たちがいることも事実である。
インタビューで得た証言では、ほとんどの学生が入学時には希望に燃えて学生生活を始める。 だが、わずかIヵ月あまりで大学への幻滅や失望を感じる多くの「M志」「M雄」「M衣子」がいる。
部活・サークルで先輩から、「大学は高校とは違うのだから、授業に出席しなくても単位は取れる」と〈忠告〉を受けて、部室に入り浸ってしまう学生もいるし、早々にアルバイトを見つけそこに居場所を見つけてしまう者もいる。 勉学の意思が弱く〈誘惑〉や〈口実〉に負けてしまう現実があるわけだが、同時に大学側には、学生が勉学から逃避することを引き止めておくシステムも手段もない現実があることも事実である。
遊んでいては単位が取得できないシステムになっていれば、学生の側の学ぶインセンティブはそう簡単に失せるものではないはずだ。 誘惑にほいほいと乗れる環境があるということである。
重要なことは、情報化時代にあって、また交換留学、語学留学などをする学生の数も年々増え、学生たちは海外の教育機関の実情を知るようになった。 日本以外の国々では教員が学生をもっとくしごき〉、学生の勉学意欲を引き出していることを知り、自分たち日本の学生は「あまり手をかけてもらっていない」と思う学生が増加しても不思議はない。

もちろん海外の大学すべてが学生に充実した教育を徹底しているとは限らない。 現に「ああ、あのパーティスクール(学生たちがパーティばかりやっている学校)ね」と言われてしまう大学は、アメリカにもたくさんある。
だが日米比較をするなら、1般的に言って、アメリカの教員のほうが教育熱心と言えるだろう。 アメリカの大学教員の7割が「自分は教育重視」であると考えているのに対して、日本の教員は3割程度で、あとの7割は研究重視だと考えているという調査もある。
また日本の学生よりアメリカの学生のほうがよく勉強することも事実である。 ハーバード大学やプリンストン大学など、いわゆるIVYリーグの有名校でなくても、日本の学生のように1日平均1時間以下では授業にとてもついてゆけない。
予習や課題が各科目で出るからである。 筆者の友人であるペンシルバニア州立大学の英文科の教員から学生に聞いてもらったところ、学生たちは少なくとも1日平均3、4時間は勉強しているという答えであった。
筆者の知る限り、日本のように、大学時代「勉強しなかった」「遊んでいた」と笑いながら語る者の多い国は他に類を見ない。 大学教育がマスプロ化して以来、その現象はずっと続いてきている。
また在籍中の学生同士が自分はいかに授業をさぼっているか、いかにふまじめかを互いに吹聴し合っている場面に遭遇した人は少なくないと思う。 見落としてならないのは、吹聴し合う彼らには、心の底ではさぼっていることにやましい気持ちがあることだ。
不安だから、やましいからこそふまじめなことを自慢する。 「僕だって・私だってやってないよ」という声を聞き合って安心したいのだろうか。

あるいは誰かに「まじめになれ」と説教されたいのだろうか。 ともかく学生たちは勉強をしていないことによる心細い気持ち、不安な気持ちを屈折した表現で伝えている。
だが今やっと学生たちの中に、よい授業を受ける権利を主張する層が生まれてきたように思う。 加奈は、「〈大学生なのだから自分たちでやれ〉と言ってほっておく、あまりにも教育の形をなしてないです。
学生をただ〈泳がせておく〉のはやめてほしい」と語っている。 また「メディアからの知識や、その他の情報から考えると、日本の大学は入学してきた学生を遊ばせ過ぎであると思う」という孝次のコメントなど、大学のあり方、授業のあり方にもっともな批判が数多くインタビューで聞かれた。
つだので、私たちはどうやってわかりやすくしてくれるのかと思っていたが、結局、学生の言うことはどうでもよいのかと思ってしまった。 高校時代、先生はどうやって教えたらわかりやすいか考えていてくれたと思うけど、大学ではそういう風に思えないことが多い。
教え方で責任を問われることがないのはおかしいと思う。 大学側は学生の教育環境をよくするためにカリキュラム改変や学部の再編成を行ってきたし、今も行っている。
形に見える「箱」を変えるだけでなく、学生の意欲を引き出していく授業にすることは、それにも増して重要である。 孝次は「学生なりに自己の大学の授業環境について考えている学生は少なくない。
そういう学生たちの意見を引き出す努力を(先生たちは)してほしいです」 確かに日本の大学は、学生をもっと訓練する余地がたくさんある。 勉学時間をあまり取っていない学生たちは、本当はもっと勉強すべきであると思いながらもそうしないで暮らしている。
自主的に勉強をしないので、教員がもっと意欲を引き出してくれればよいのに、もっと勉強を強制的にさせてくれればよいのにと感じている。 学ぶ態度として実に受動的であり、甘えでもあるのだが、〈本当はもっときちんと勉強したい〉という思いが彼らの中にあり、日本の大学が「自己責任」の名のもとに、学生のケアをせず、挫折や堕落をしやすい教育環境に学生をおいていることも事実である。
深刻なことは、勉学をしなくてすむ環境があるだけでなく、学生の学ぶ意欲を萎えさせる授業が少なくないということだ。  熱意のある授業、工夫をこらした授業、やりがいのある授業は学生のやる意欲を育てる。

そうした授業については第3章で論じるが、ここでは学生にとって〈面白くない〉授業の実態と実例、あるいは学生の勉学意欲がむしろ萎えてゆくような授業環境について述べる。 インタビューの「やる気が失せる授業」のセクションに収録したように、学問レベルが低いと学生が思わざるを得ない授業、教員の側での授業準備が不十分な授業、教員のやる気や熱意が学生に感じられない授業、工夫が少なく理解しにくい授業、私語の多い授業など、学生の不満はさまざまである。
「先生の側は予習もなく、授業内容を組み立てて授業に出てきていないことが学生にはわかってしまう」「学生が自分の授業を受けて何を感じているのか、何を学んだかなど、どうでもよいように見える先生が多い」「高校時代、先生はどうやって教えたらわかりやすいか考えていてくれたと思うけど、大学ではそういう風に思えないことが多い」といった厳しい批判は、調査校すべてにわたっていた。

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